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マクドナルドとアニマルウェルフェア

さて、前回まで少し硬いスタイルが続いたので、小休止。

とはいえ、同じラインのトピックです。

マクドナルド社が、昨年9月、アメリカとカナダの店舗で、10年以内にすべての卵をケージフリー(ケージに入れない鶏からの卵)にする、と発表しています。


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写真 Slate (以下リンク)より



この「ケージフリー」や「フリーレンジ」の定義に問題がありそれほど改善は見込めないとする声もありますが、生まれてから一度も太陽を見ないのが主流のスタイルであるケージスタイルと比べれば(怖いことです)、少しでも前進。

マクドナルドは実は、イギリスでも Freedom Food 認証の豚肉のみを導入。

こちらは RSPCA が主導する、かなり高い基準のアニマルウェルフェアに沿った豚の飼育が義務付けられたもの。


マクドナルドと言えば、肉の大量消費の最大の原因のひとつ。

本来ならそれなりにコストのかかっていた肉というものを、気軽に、安く食べられるようにした、ファストフードチェーンの代表です。

ファストフードの拡大に伴い、畜産の工業化が加速、今では工業畜産(工場のように機械を多用して大量の家畜を飼うスタイルで、個体密度が非常に高く、多くの場合は密閉された空間で飼育)が主流。

つまり、肉の需要に追いつくためには、大量の家畜が必要で、のんびりと草や虫を食べさせている暇はない、ということでした。

外部経済の内部化(注)ということが言われて久しいのですが、本来、肉というものはそんなに安く食べられるものではなかった、ということです。

いや、一度も太陽の光を見たことのない鶏の肉でも、安い肉が食べられることはいいことだ、という人もいると思います。

密室で過密な状態にあって病気になりやすいため、抗生物質漬けになっていても(そしてそれを食べて自分が病気になる可能性があるとしても)、それでも安い肉がいい、という人もいるでしょう。

でも、市場経済の利点(環境にとって)というのは、多くの消費者が求めれば、それを企業が提供してくるということ。

下の写真は、イギリスのスーパーにあったアニマルウェルフェア食肉 ↓


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家畜のアニマルウェルフェア、ここ4-5年で、加速しているな、というのが私の印象です。

そしてこれは、企業の社会的責任(CSR)やエシカル消費の波と合致しした一連の大きな流れの一部ですが、そのこと自体、人類の(倫理やモラル上の)進化の流れに、アニマルウェルフェアは入っているということの証ではないかと思います。



http://www.slate.com/articles/health_and_science/science/2016/08/animal_activists_crunched_the_numbers_to_learn_that_the_creature_most_in.html

https://www.washingtonpost.com/news/animalia/wp/2016/08/06/how-eggs-became-a-victory-for-the-animal-welfare-movement-if-not-necessarily-for-hens/

http://www.forbes.com/sites/phillempert/2016/05/08/shift-to-cage-free-eggs-is-likely-to-disappoint/2/#765976786438
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生物保護(アニマルウェルフェア+)

さて、環境倫理の主な主張、3つめのカテゴリー。

生物保護、という考え方です。

ここにはいろいろな考え方が入りますが、さらに大きく分けると、「個体主義」と「全体主義」というのに分かれます。

個体主義の中には、例えば以下のような考え方が入ります。

① ピーター・シンガーの「動物の解放」にあるように、有感動物に人間に適用するのと同じ原則で倫理的配慮をすること

② トム・リーガンの「動物の権利」にあるように、有感かつその他の条件を満たす動物には生きる権利があり人間にはそれを尊重する義務があるというもの(この場合の「権利」は道徳的な意味であって、法律上の権利とはまた別)

③ アルバート・シュヴァイツァーが主張するように「生命」は一つ一つみな尊重すべき、というもの(進化の目的はそれぞれの種で別の戦略を持つ)


全体主義(ホーリズム)には、以下のようなものがあります。

④ アルド・レオポルドの「土地倫理」にあるように、人間は地球の征服者ではなく一構成員であり仲間の構成員を尊重すべきというもの



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これから少しそれぞれについて書いて行きたいと思いますが、現在、特に日本では「アニマルウェルフェア」と「アニマルライツ」の混同が根深いようです。

この二つはまったく別のもの。

そして、「動物が好き」な人だけがそれ(人間が動物を扱う時の考え方や方法)について考えればいいのだ、というような風潮もあります。

そうではない、のがアニマルウェルフェアだと私は解釈しています。

また、「じゃあお肉を食べてはいけないというのですか?」という心配も、よくされます。

必ずしもそうではないのが、アニマルウェルフェアの考え方です。

私が思うのは、人間と動物はまったく別、ということにしておいた方がいろいろなことがすっきりする(実際そうかはわかりませんが)、だからそのパンドラの箱を開けたくない、ということなのではないかと推測します。

もちろん、自分の種を残そうとする、自分の属する種に有利になるように行動するのも、生物の性質です。

ただ、進化論を受け入れているならば、人間だけがこの地球で特別扱いをされるのが自然の摂理ではない、ということは言えると思います。

アニマルウェルフェアが提唱しているのは、そういうことであり、”かわいそう”論とは全く異なるものです。




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「世代間倫理」

地球を倫理学で救えるか?

前回からのトピックですが、環境倫理の3つの主張(実はものすごくいろいろな主張が存在していて、それぞれが矛盾をはらんでいたりしますが)の2番目。

世代間倫理。

つまり、世代を超えて倫理観を適用するもので、この考え方は「サステナビリティ」とか「持続可能性」という言葉がメインストリームとなっている通り、すでに受け入れられています(もちろん様々な矛盾や批判もありますが)。

未来の世代につけをまわさない、というのがボトムラインのこの考え方、例えば石油資源を考えてみるとわかります。

① 石油は有限な資源であり、枯渇しつつある。

② しかし、再生可能な資源はまだ様々なハードルのため普及が進んでいない。

③ よって、いつかはなくなると知りつつ、現在世代は石油を使っていて、つけの「先延ばし」をしている。

④ これでは、将来世代が持つ欲求(必要)を満たすための能力が減少するため、そうならないよう現在世代は今すぐ石油の使用をやめ再生可能エネルギーに切り替えることが一番望ましい。

というような考え方です。

もちろん、④の「そうならないよう...」以降は、現実的にはいろいろなオプションが検討されていますが、理論的にはこういうことです。

J.S.ミルは、枯渇性資源も事実上は無限であると考えたうえで、停止状態(例:石油を使うことを今すぐやめる)を実現しなくてはならないとしています。

「成長の限界」のベースとなったハーマン・デイリーは、3つの原則を打ち出してシンプルに説明しています:

① 「再生可能な資源」の持続可能な利用速度は、その資源の再生速度を超えてはならない。

② 「再生不可能な資源」の持続可能な利用速度は、再生可能な資源を持続可能なペースで利用することで代用できる速度を超えてはならない。

③ 「汚染物質」の持続可能な排出速度は、環境がそうした汚染物質を循環し、吸収し、無害化できる速度を上回ってはならない。

どの主張も、「なるほど」と納得はさせられるものですが、実際適用しようとすると様々な科学的根拠が出てきて、アメリカでの温暖化問題への懐疑主義とそれを支える”データ”の存在からもわかるように、残念ながら合意形成が非常に難しいのが実情です。



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ただし、こうした理論は基盤としてやはり大切。

この世代間倫理の主張は、すでに国連をはじめとする様々な国際機関や政府機関が採用する、「持続可能な開発」という概念に組み込まれています。

(ただし、この概念自体の解釈も、将来世代に意思決定能力があるか、など様々な議論が存在しています。)

これは1987年国連のブルントラント委員会報告で打ち出された方針で、「将来世代が自分たち自身の欲求(必要)を満たすための能力を減少させないように、現在の世代の欲求を満たすようにする」というように定義されています。


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地球を倫理学で救えるか? 「地球有限主義」

掲題のクエスチョンですが、これは、環境倫理学の本にあったもの(もともとは「」環境問題を倫理学で解決できるか?」というもの)。

自然保護の法政策を専門とする私から見ると、「おもしろい質問をするな」と思います。

もちろん、倫理学を専門とする人から見ると非常に大切なクエスチョンとなるのでしょうが、そこをあえて置いて置き、いきなり結論を書いてしまうと...

倫理学だけで環境問題を解決するのはもちろん無理ですし、従ってこの質問を私がされたとすると、NO と答えざるを得ません。



ただ、環境倫理学の主張する①「地球の有限性」、②「世代間倫理」、③「生物保護」という概念はそれぞれ、法政策の形成の上でも重要な役割を果たしています。

また、倫理的・道徳的・感情的な裏付けなしに環境問題に取り組むことには、限界もあると個人的には思います。



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①の環境の有限性、ですが「加害者と被害者」の構図から、地球の生態系では、すべての行為は他者への危害の可能性があるので、倫理的統制のもとにおかれている、という基本的な倫理の考え方に基づいているとされます。

地球(の資源)を有限と考え、無尽蔵に資源を消費してきたこれまでのライフスタイルの反省とも言えますが、この考えでは、地球を一つの閉じられたものと捉え、個人や国家の個別的な利益よりも、地球全体の利益が優先します。

今読むとびっくりな、ギャレット・ハーディンの救命ボート倫理も、地球を有限と見た場合に人類はどうすべきかということを考えたもの。

少人数の(具体的には先進国の人たち)生き残りのためには他の人達(具体的には途上国の人たち)が犠牲となっても仕方がない、という、今の共和党大統領候補がサポートしそうなこの理論。

これも、環境倫理学の文献を読むと必ず出てきます。

そういう極論に行かず、なんとかこの地球を共有し人類が生存していく(後者については大切でないとする論もありますが)ために。

苦肉の策とも言える理論が、②。

続きは、また来週に。




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人間中心主義と自然中心主義

前回の記事に書いた、人間中心主義と非人間中心主義(なかでも自然中心主義)の流れは、現在では「不毛な対立」であるともされています。

例えば、アメリカの自然保護思想の源泉の一つとも言われるミューアは、ヨセミテ国立公園内に計画されたダム建設に反対していますが、彼の著作を読めばヨセミテの美しい自然を守りたいということが本音であったことがわかる、とされています。

ただ、議論の上では意思決定の透明性の欠如など、プロセスを理由にしていたようです。

つまり、公の議論の場では、人間中心主義に合わせてはいた、ということでしょう。

例えば自然の生きものを原告とする訴訟が日本でも流行った時期がありましたが、そういう特別な例を別とすると、やはり、人間の作ったシステムの中では人間を中心とした話し方が一般的となるのは当然かもしれません。



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なぜ人間中心主義と自然中心主義との対立が不毛であるかについては、究極的には人間中心を否定し自然を中心に置く場合、人間も他の生物を利用して生きていくしかない以上、自然中心主義というのは人間に「生きるな」ということと同じである、という解釈があります(加藤、2005年)。

これは、確かにそうです。

例えば現在人類は地球1.5個分が必要な生活を送っているとされます(WWF)。

単純に考えると、やはり人間が地球の生物に過剰な負荷を与えていることになり、地球を中心に考えるならば(人間がその中に含まれるのか否かという点がこれまた議論となりますが)、人間はいない方がよい、ということになってしまいます。

ところが、生物学上は、自分の所属する種を優先させることは生物として自然な法則であり(全般に私も環境倫理学が専門ではないので用語が間違っているかもしれませんが)... これも、「自然界の法則」と呼べないこともなく...

などなど、たくさんの批判や分析が存在する、大変複雑かつ難解なトピックです。

ただ、一つだけ言えるのは、自然中心主義が人間中心主義への反発として生まれたこと、そしてそれが環境保護運動を後押ししてきたこと、これは間違いありません。

また、個人的には、自然を美しいと感じる気持ち、これは多くの人にとって自然な感情であり、そのことを理由に自然を保護したいと思うこと自体が、批判されるというのはおかしなことでもあると思います。

こういう流れを経て、自然の中に人間を含めたうえで保護論を展開する、というのが今の主流スタイル(表向きは)となっています。



参考サイト

http://www.wwf.or.jp/earth/


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なぜ自然を守るのか?

少し間が空いてしまいましたが、本日のトピック。

前回の記事とも関連しますが、環境保護とは、なぜしなければならないのか、というのを、環境倫理の視点から見ると、大きく二つの考え方があります。

相反する二つなのですが、一方では人間生存のため、つまり、人間が生きていくうえでは自然資源が必要であるから、という考え方。

人間中心主義(anthropocentrism)と呼ばれます。

もう一方の考え方は、この反対ですから、自然中心主義(ecocentrism)。

人間にとっての価値には関係なく、自然には「内在的な価値」があるとする考え方。

ただ、「価値」という概念そのものは人間の概念ですから、ここには少し複雑な哲学や倫理の議論が存在しています。



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自然中心主義の考え方は、かなり先進的で社会的には幅広く受け入れられないように見えますが、実は国際条約などでも認められている考え方。

生物多様性条約の前文にも、ちゃんと盛り込まれています。

「締約国は、  

生物の多様性が有する内在的な価値並びに生物の多様性及びその構成要素が有する生態学上、遺伝上、社会上、経済上、科学上、教育上、文化上、レクリエーション上及び芸術上の価値を意識し、

生物の多様性が進化及び生物圏における生命保持の機構の維持のため重要であることを意識し、

・・・・・・・・・」 (生物多様性条約 前文より 筆者下線)


この、環境倫理について記事を続けてみます。

よければおつきあいください。



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グリーンな経済

今日は少しポジティブに、大きな視点から。

このブログを仕切り直す前に書いていた記事ですが、少し編集しました。


今の人間の住む地球を見渡してみると、本当にこの先もこんな風に人類は存続していけるのかな?という素朴な疑問がわく人は多いのではないかと思います。

でも一方で、ちゃんとこの地球を「大切に」していけば、今は70億の地球の人口が、今世紀終わりまでに100億になったとしても、まだまだ人類は続いていけるんだ、という説も存在しています。



今の世界の問題を整理する見方のひとつは「グリーン経済」(2) という新しい国連のイニシアティブに反映されていて...

環境問題と、貧困・社会的不公平などの社会問題を両立するような経済の仕組みを作りましょう、という見方です。

これは、ある特定の分野で環境や社会の問題を解決するという、経済活動に合わせた環境保全や社会問題の解決から、環境や社会問題の解決に合わせた経済のスタイルを構築すべし、ということです。

具体的にはと言えば、例えば、代替エネルギーへの投資を促進し雇用も促進する、ということが挙げられています。

また例えばEUでは、inclusive economy ということをしきりに提唱しており、社会的弱者やマイノリティー、途上国の人々もマーケットに含め互いにサポートする(と言えば聞こえはよいですが)ことを方針に掲げています。


自然保護に根差した考え方としては、「生物多様性の主流化」などもあります。


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「主流化」とは、読んで字のごとく。

生物多様性というコンセプトが、誰でも知っているものになり、ひいてはどんな場面でも考えられ、ありとあらゆる場面においての判断材料になることです。

この生物多様性の主流化は、2010年に名古屋で行われた生物多様性条約の締約国会議(COP10)で採択された、これから生きものを守るために掲げた目標「愛知ターゲット」に含まれていた戦略目標のひとつ(3)。

さて、そうするには、どうしたらよいのか?

政策レベルでは、すでにそれぞれの国において生物多様性を行動計画などに組み込む、ということが始まっています。

ビジネスレベルでは、例えばセクター毎のガイドラインや自己規範などの作成は、これ以前から徐々に進んできています。

例えばビジネスレベルの取組で、日本で少し前に話題となったのは、ユニクロが非営利団体グリーンピースと結んだパートナーシップ。

2020年までに、洋服の染料に含まれる有害化学物質を、グローバルチェーン全体において廃止する、というコミットメントをたてました(4)。

海外の他のブランドも(Nike, Adidas Puma, H&M, M&S, C&A, Li-Ning, Zara, Mango, Esprit, Levi's, Uniqlo, Benetton, Victoria's Secret, G-Star Raw, Valentino, Coop, Canepa, Burberry, Primark)(5)。



実は、日本人の私たち含め、世界の洋服の大半を加工する中国では化学染料の有害物質によって川が汚染され、人体や生態系に大きな影響が出ています。

こうしたことを考えて洋服を購入する人は今ほとんどいませんが、このこと自体が問題でもあります。

ですから、一般の私たちの日常レベルでは...

例えば、オーガニック食品や、フェアトレードなどのエシカル製品は、「生物多様性の主流化」のいい例。

毎日自分が使うもので、環境問題・社会問題を少なくとも悪化させないようにする手段。

ただしここの課題は、環境コストを内在化していくと、必然的に物の値段が上がる傾向がある、ということ。

今の大量消費のスタイルから、本当に必要あるいは好きなものへと消費を抑えていくことも同時に考えていくこと。

この傾向はすでに始まっているような気がします。




1.The Guardian, "The triple crunch won't be pretty. But will it banish our economic torpor?” (31 May 2011), http://www.theguardian.com/commentisfree/2011/may/31/triple-crunch-economic-torpor

2. UNEP website: http://www.unep.org/greeneconomy/

3. Dec. X/2, Strategic Plan for Biodiversity 2011-2020, CBD, https://www.cbd.int/decision/cop/?id=12268

4. 日本経済新聞「ファストリ、危険化学物質の排出ゼロに グリーンピースと合意」(2013/1/9), http://www.nikkei.com/article/DGXNASGF0900A_Z00C13A1000000/

5. Greenpeace International website: http://www.greenpeace.org/international/en/campaigns/toxics/water/detox/

6. GEF, UNEP, CBD (2007) "Mainstreaming Biodiversity into Sectoral and
Cross-Sectoral Strategies, Plans and Programmes: Module B-3", https://www.cbd.int/doc/training/nbsap/b3-train-mainstream-en.pdf


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共通テーマ:日記・雑感

Some animals are more equal than others?

Some animals are more equal than others?

いくつかの動物は、他の動物よりも平等である、という、ジョージオーウェルの言葉。

これ自体はファシズムに対する表現であったのですが、人間とは、他の動物より価値があるのかどうか、ということが、今話題になっています。



先週、オハイオ州のシンシナティ動物園で、ゴリラが射殺されたという事件が報道されました。


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写真:The Guardian 紙



理由は、ゴリラのいる柵の中に、3歳の子どもが入り込んでしまい、ゴリラがその子を抱えてちょっと見には引きずっているような動作をしたためです。

日本のメディアでも報道されていて、「動物園側は、麻酔薬は即効性はなく、子供の生命を守るためには、これ以外に方法はなかったと釈明している」とあります。

これについて、類人猿の保護に長年携わってきた自然保護家は、射殺の前に試してみる価値のあった行為はいくつかある、としています。

例えば、この Harambe と言う名の17歳のゴリラが信頼する人間に、彼を落ち着かせるように試みる、などのことです。

ゴリラというのはとても知能の高い動物ですから、反応する可能性があるということです。

この問題は、単に「ゴリラがかわいそう」という反応だけではなく、一部の世論はその子の保護者への責任や、動物園側の安全対策の責任について追求しています。

ここでは、様々な点が考慮される必要があると思いますが、思いつく項目をあげてみますと...

1. ゴリラは絶滅危惧種であり(Western & Eastern gorillas)、例え動物園にいるゴリラでも希少

2.この Harambe は人工的環境で生まれ人の手で育てられており、人間がなだめるという可能性は十分にあった(?)

3. そもそも人間の命が危険にさらされた可能性があるということで、動物を射殺してよいのか、という議論がある

4.そもそも動物園にゴリラのような知能が高く社会性の高い動物を入れておくのは動物福祉にもとるという議論がある

などです。

特に3.については、様々な意見があり、こうした見方をする側を批判する記事もあります。

つまり、人間である以上、ヒューマニストであるべきであり、人間を優先させるのが当然である、という考え方。

例えば、「I can't believe I have to say it: a human life is worth more than a gorilla's(これをわざわざ言わなくてはならないことが信じられないが、人間の命はゴリラのそれより価値がある」という記事では、あるアンケート調査について触れています。

人間の、外国人観光客と、自分の愛するペットと、どちらか一つの命しか救えないとしたら、どちらを救うか?

調査対象となった人の実に40%が、ペットの方を選んでいますが、これに反論する内容の記事です。

つまり上記の、人間はヒューマニストでなければならない、という考え方です。



非常に難しい倫理的な問題が、人間の商業利用する動物に関して存在しています。

私個人としては、そうした倫理的な問題への答えを出すのはとても難しいだろうと思うこともあり、いっそのこと、できるだけ商業利用を少なくすることで、人間側の悩みや罪悪感も減るのではないか、そんな気がします。

いずれにせよ、動物園という場所は、一般の人が思うほど、楽しい場所でもない、ということを知っているので、私自身はほとんど足を踏み入れたことがありません。

そこに行くと、こうした倫理的な問題をどうしても考えてしまうからです。

Harambe の安らかな眠りを祈り、この記事は終わりにしたいと思います。



http://www.theguardian.com/us-news/2016/may/30/gorilla-shot-cincinnati-zoo-child

http://www.theguardian.com/commentisfree/2016/may/31/gorillas-shooting-harambe-cincinnati-zoo?CMP=share_btn_fb

http://wwf.panda.org/what_we_do/endangered_species/great_apes/gorillas/

http://www.gorillas-world.com/gorillas-in-captivity/


http://business.newsln.jp/news/201605300514260000.html

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抗菌・除菌グッズのこわい話

英語のことわざで、What doesn't kill you makes you stronger というのがあります。

あなたを殺さないものは、あなたを強くする。

これ、抗菌除菌グッズに当てはまる言葉だと、と、Scientific American の記事にありました。

つまり、死なないバクテリアは、どんどん強くなっていき、やがてスーパーバグになってしまう、ということなのです。

よく宣伝で「99%の菌を除菌!」としています。

その残りの1%のことです。

前回書いたように、この状態が進むと抗生物質は効かなくなり(すでに抗生物質は効かなくなりつつあります)、これまでのようには手術というものはできなくなります。

ちょっとした感染も、体が弱ければ菌に負けて死んでしまうことも。



伝統的なクリーナーである石鹸は汚れや細菌を表面から浮かせ水で洗い流す。

もう一つ伝統的なクリーナーであるアルコールは細胞の主要な構造を破壊し、蒸発する。

ということで、どちらも環境中に消散する性質のものです。

ところが、抗菌・除菌グッズというのは表面の残留物が、抵抗に強いバクテリアの発達しやすい状況を作ってしまうというのです。

これらのグッズはキッチンカウンターで使用すると、そのままそこに残り菌を殺し続けますが、すべての菌ではありません。

残った菌は、繁殖を重ねるごとに菌に対するディフェンスを身に着けた小さなサブ・個体群が生まれます。

この一族が、冒頭の「あなたを殺さないものは...」ということわざに当てはまる、と記事には書いてあります。

そして、こうしたグッズに抵抗力をつけた菌が変異を起こし、抗生物質そのものに対する耐性を持つようになった例が実験室では発見されているというのです。

こうした抗菌化学物質は、やっぱり環境中に漏れてしまいます。

たとえば抗菌グッズによく含まれていると言われる「トリクロサン」という物質とそれに類似の同じくグッズに含まれる「トリクロカルバン」という物質。

アメリカの河川の60%に存在しているという研究結果があるそうです。

またトリクロサンには、発がん性の危険もあるという記事もあります。


化学物質は人間生活を大変便利にしました。

が、副作用や環境への影響など、あまり気にせずに使っている抗菌・除菌グッズ。

本当に便利なのでしょうか?

何よりも、本当に安全なのでしょうか?

今一度、見直すことを、お勧めします。

アメリカには、Alliance for Prudent Use of Antibiotics (抗生物質の思慮深い使用のアライアンス) というネットワークがあるようです。

日本はどうなのでしょう。

そういうことが議論されているのを、あまり見かけません。




http://www.scientificamerican.com/article/strange-but-true-antibacterial-products-may-do-more-harm-than-good/

http://emerald.tufts.edu/med/apua/policy/7.14.10.pdf

http://jp.ibtimes.com/articles/408545






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薬と生態系

今日は、自然界の生物と、人工的産物である薬の関係について。

5月19日、イギリスでショックな報告書が出たばかりです。



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Jim O’Neil という、BRIKs (Brazil, Russia, India, China, South Africa) という用語を生んだエコノミストがとりまとめた、Tackling Drug-Resistant Infections Globally (薬への耐性を持つ感染への世界レベルでの対処) という報告書の中間とりまとめ。




20世紀前半、ペニシリンが最初に開発されて以来、抗生物質は様々な人を救ってきました。

「20世紀における偉大な発見」とも言われたほど、多くの命が救われ、それまでは致命的だった病気や怪我の治療が可能になったのです。

しかし徐々に、様々な抗生物質が非常に気軽に処方されるようになり、日本でも病院へ行くと「とりあえず」処方される例もまだまだ多いはずです。

ただ、自然の生態系の生物(菌)は、環境に合わせ進化していくもの。

抗生物質という人工的な化学物質は、菌のある特定の箇所をめがけてピンポイントで働きます。

結果、菌を殺しますが、その特定箇所だけを進化させればよいため、菌は抗生物質への耐性を構築しやすい、と考えればわかりやすいかと思います。

ついに、抗生物質の「黄金時代」が終わってしまったのです。



この中間報告書では、抗生物質への耐性を獲得した菌、「スーパーバグ」が原因で死亡する人の数が毎年1000万人に上る恐れがある、としています。

つまり、今なら抗生物質を飲んでおけば治まるような一般的な細菌感染で死んでしまう人が出てくる可能性があるということです。

この報告では、対策として9つの策が挙げられていますが、そのうち7つはどうやって抗生物質の過剰使用を減らせばよいかという点について。

残りの2つが新たな抗生物質の研究と開発の推進について、となっています。

抗生物質の研究開発は、利益が少ないために製薬業界は進んでやりたがらないからです。



抗生物質の削減の方法として主なものはもちろん、必要以上に処方しないこと。

そしてもう一つこのブログのトピックである動物に関係する大きな柱が、家畜に大量投与される薬の削減です。

アメリカやイギリスでは、抗生物質を使用していない食肉、というラベルを見ることがあります。

なぜ家畜に大量に抗生物質を投与する必要があるのか、という点を少し考えてみると...

狭い劣悪な環境でぎゅうぎゅうに押し込められている家畜たちは、すぐに病気になってしまうからです。



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AFPニュースより



この原因はもちろん、食肉需要の増加、つまり、肉を食べる人口も、肉食自体も、増えていることが原因なのです。



自然界の生物(細菌)と、抗生物質。

おもしろいことに、自然界にある抗生物質と同じような働きをする食べ物や薬草は、抗生物質のように特定箇所だけに働きかけるのではなく、菌を全体として捉え(全体=ホリスティック)様々な箇所に働きかけるため、菌が耐性を構築しづらいというのです。

ペニシリン以前から、太古の昔から人間が存続していることを考えると、うまくこうしたものを使ってきた、そして自然と共存してきた、ということでしょう。

薬剤への過剰な信頼と手軽さが、この私たちの祖先が脈々と受け継いできたホリスティック医療の知恵を軽視させる文化を生んだ一因であることは間違いありません。




もちろんこの抗生物質の問題は世界各国がみな取り組まなければ意味がありません。

日本でももっともっと、抗生物質や抗菌製品について、政府主導の意識改革と規制、そして業界への支援と協働が必要です。

個人としては?

手軽なところでは、肉食の量について、もっと真剣に考える必要があります。

また、病院に行ってとりあえず出される抗生物質、本当に細菌性の病気でない場合に処方されていたら(されている場合がたくさんあります)、Noと言うこと。

抗菌スプレー、除菌グッズを今すぐにやめること。

合成された抗菌・除菌グッズは99%の菌を殺します。

でも、残りの1%は、耐性を構築しどんどん強くなっていきます。

キッチンでこうしたグッズを1か月使うと、結局は1か月かけてこの1%の強力な菌を培養しているのと同じことなのです

この点については、また来週。



報告書本文:http://amr-review.org/sites/default/files/160518_Final%20paper_with%20cover.pdf

その他参考:

http://amr-review.org/

http://www.afpbb.com/articles/-/3087606

http://amr-review.org/industry-declaration

http://www.scientificamerican.com/article/strange-but-true-antibacterial-products-may-do-more-harm-than-good/



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