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人間中心主義と自然中心主義

前回の記事に書いた、人間中心主義と非人間中心主義(なかでも自然中心主義)の流れは、現在では「不毛な対立」であるともされています。

例えば、アメリカの自然保護思想の源泉の一つとも言われるミューアは、ヨセミテ国立公園内に計画されたダム建設に反対していますが、彼の著作を読めばヨセミテの美しい自然を守りたいということが本音であったことがわかる、とされています。

ただ、議論の上では意思決定の透明性の欠如など、プロセスを理由にしていたようです。

つまり、公の議論の場では、人間中心主義に合わせてはいた、ということでしょう。

例えば自然の生きものを原告とする訴訟が日本でも流行った時期がありましたが、そういう特別な例を別とすると、やはり、人間の作ったシステムの中では人間を中心とした話し方が一般的となるのは当然かもしれません。



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なぜ人間中心主義と自然中心主義との対立が不毛であるかについては、究極的には人間中心を否定し自然を中心に置く場合、人間も他の生物を利用して生きていくしかない以上、自然中心主義というのは人間に「生きるな」ということと同じである、という解釈があります(加藤、2005年)。

これは、確かにそうです。

例えば現在人類は地球1.5個分が必要な生活を送っているとされます(WWF)。

単純に考えると、やはり人間が地球の生物に過剰な負荷を与えていることになり、地球を中心に考えるならば(人間がその中に含まれるのか否かという点がこれまた議論となりますが)、人間はいない方がよい、ということになってしまいます。

ところが、生物学上は、自分の所属する種を優先させることは生物として自然な法則であり(全般に私も環境倫理学が専門ではないので用語が間違っているかもしれませんが)... これも、「自然界の法則」と呼べないこともなく...

などなど、たくさんの批判や分析が存在する、大変複雑かつ難解なトピックです。

ただ、一つだけ言えるのは、自然中心主義が人間中心主義への反発として生まれたこと、そしてそれが環境保護運動を後押ししてきたこと、これは間違いありません。

また、個人的には、自然を美しいと感じる気持ち、これは多くの人にとって自然な感情であり、そのことを理由に自然を保護したいと思うこと自体が、批判されるというのはおかしなことでもあると思います。

こういう流れを経て、自然の中に人間を含めたうえで保護論を展開する、というのが今の主流スタイル(表向きは)となっています。



参考サイト

http://www.wwf.or.jp/earth/


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